ラジコン回想記

(その1)

私がラジコンと出会ったのは、中学生の頃に“工芸部”という

クラブに入ったことが発端でした。

“工芸”とは、また何とも風流な・・・と思われがちですが

何のことはない、ただの模型クラブのことです。

元々鉄道模型が好きだった私ですがクラブ内では極少数派

で、折りしも一大ラジコンブームの波が押し寄せていたために

私もラジコンを始めることにしたのです。

最初のマシンはニチモのランチャ・ストラトスでした。

ベベルギアにカバーが付いている点が気に入ったのです。

当時は学校の校庭や近所の公園といった未舗装路で走らせる

ことがほとんどで、タミヤのベベルギアーは全てオープンに

なっていたことに、子供心ながら大きな疑問を感じていたのです。

プロポは当時大流行したサンワ・ミニプロポです。確か当時、

価格が一番安かったような記憶があります。現在のように

特価販売なんてものはなく、定価販売が当たり前でした。

このランチャ・ストラトス、ボディは言うまでもなくタイヤ・ホイールに

至るまでとことんスケール感を大切にした1台でした。

走りに関して言えば、華奢に見えるタミヤ製マシンの方が

キビキビしてて速かったですが、強度的にはニチモの方が

優れていたようです。タミヤの935とニチモのランチャがクラッシュ

すると、決まって935の方に大きなダメージがありました。

昔は何でも修理しました。スチロール製のボディはクラッシュしたら

破片を全て持ち帰り、接着剤とパテできれいに修繕したものです。

工芸部の部室は技術室でしたので、シャーシやシャフトが曲がったら

定盤の上で叩いて修正して何度も使いました。

今のように『壊れたら買い換える』といった風潮ではなく、

『使えなくなるまで使う』のが当たり前だったのです。

中学生ですから、限られたお小遣いではバッテリーを何本も

持つことができず、やがて燃料さえあればいつまででも走れる

エンジンカーに興味が移っていきました。

 

 

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