ラジコン回想記
(その2)
もちろん新車なんて買えませんでしたから、友達から中古車や
プロポを譲ってもらい徐々にステップアップしていきました。
初めて手にしたエンジンカーは、京商のサーキット10という
11クラスエンジンの1/10バギーで、フィアット131アバルト
ラリーのボディが付いていました。
プロポもGC−2200に、サーボはSM−391へとグレードアップ
を果たしました。当時は高級サーボとしてSM−394、最上級クラスの
スタントBBシリーズなどがありましたが、燃料やプラグヒート電池を
買うのに精一杯だったのでとても買えるシロモノではなく、
“高嶺の花”そのものでした。
このサーキット10は実に軽快にダートを走りました。オーバーヒート
にさえ気を付ければ燃料がある限り走り続けることができるのです。
電動カーに付きものの『走行時間の制約』から解放された満足感は
とても大きなものがありました。
ただ、周りの友人達は私の知らない間に電動カーから
1/8バギーへと移行していたのです。
「ぶつけられたらたらひとたまりもない」、そう思った私は
サーキット10を友人に譲り、別の友人の兄から東模のファンコを
譲ってもらったのでした。
このマシンのためにエンジンを新調しました。自分にとって
初めての新品エンジンで、エンヤ・21Xレーシングという
当時最高出力を誇るカー専用のものでした。
これを友人2人と連れ立ってあらかじめ予約しておいたお店に
買いに行きました。お店ではガラスケース上に3台並んだ21Xを前に、
どれを取るかジャンケンで決め、慣らし運転も友人の家に集まって
3人同時に行いました。
当時エンジンのブレークインはテストベンチでプロペラを使って
行うのが当たり前でしたので、五右衛門風呂のある友人の家で
薪にする角材をもらってブレークイン台を作ったものです。
それまでの09〜11クラスとは違って、21クラスはさすがに
パワーが違います。たった3.5ccの2サイクルエンジン
ですがプロペラを指でスナップする時、ノッキングで中指を
ペラで叩かれ、爪が割れてしまいました。今にして思えば
要領がわからずオーバーチョークさせたのが原因だったようです。
昔はこのようにして怖さを実感し、取り扱い方を体得したものです。
学校で習う勉強よりもずっと大切なものを学んでいたような気がします。